zenpoly-history

先日、とある場所で私の音楽遍歴というか、ざっくり言うと「あなたの音楽愛はどんなもんですか?」みたいな質問に答える機会があって、まあ一通りしゃべった。しゃべっていて、アッ、やべえこれ、自分の歴史を語って誰かに聴いてもらうの、メッチャクチャ快感…!って、なんならしゃべってる途中で涙があふれそうなくらい感極まったので、ここであらためて書いてみようと思います。


◆私が音楽を聴き始めるまで◆

私が音楽をちゃんと聴き始めたのは、とても遅くて大体二十歳ごろ。ここでいう“ちゃんと聴き始める”とは、志向性をもって自分の理想とする音楽を探し始めた、の意味です。なんとなく生活の中に音楽があったようなレベルから、「趣味・音楽鑑賞」のレベルになった。

私の家は音楽がほとんど流れていない家庭で、テレビで耳にする曲をメインに知ったり、好きになったりはしていました。初めて買ったCDはとんねるずの「ガニ」でしたし、私が小中学生だった90年代半ばは小室ファミリー全盛期でしたので、安室ちゃんとかglobeとか(今みたいになっちゃう前の)hitomiとか、好きで聴いてました。華原朋美とか、dosとか。

例外として、吉幾三は母の故郷のスターということもあり家でなぜか聴く機会があったものですから、私の十八番である「俺ら東京さ行ぐだ」はそのとき体得するなどしました。とはいえ母は吉幾三が特に好きというわけではなく、なんかよくわかんないけど家にCDがあったから~程度。それくらい音楽に対して意思もこだわりもない家庭で育ちました。

その後、思春期の私が不登校から引きこもりのコンボを決めて社会との繋がりをなくしていったあたり、すがるような思いでインターネットにのめり込んだりしていく中で、「自分の生活には音楽が必要だ」という漠然とした思いが、日に日に募っていった。なぜそう感じたのか、何かそういうきっかけがあったのか、もう今となってはまったくわからないのですが、とにかく「必要だ」っていう思いを、ずっと抱えていました。

その段階から私の中には「自分の好きな音楽はきっとこんな感じ」というある程度の形がすでに見えていて、ゴールの感触はなんとなくわかるんだけど、そこに向かうためのスタート地点が見つけられない、どこから聴いたらいいのか皆目見当もつかない、そんな感じで数年過ごしました。(当時Youtubeとかあったら簡単だったんでしょうけどね)


◆欲望の扉が開かれる◆

ある日の深夜、小林克也さんの「ベストヒットUSA」だったと思います。なんとなく眺めていたら、気になる曲が流れてきた。The MusicのWelcome To The Northという曲。うまく言えないけど、ここからスタートが切れそうだと思いました。重い腰を上げて0が1になった瞬間。私の音楽はここから始まった。あとはどこかにあるであろうゴールを目指して、枝葉をたどっていけばいつか巡り会える気がする…!

当時はニューウェイヴ・リバイバルブームの少し後くらいでしたので、80年代のバンドから影響を受けたような新しいバンドが出てきていて、そのあたりを漁って、またそのルーツを漁るなどしていくうちに、ゴールがいる漁場のかなり近くまでやって来ている手応えがあった。どうやら自分は「ニューウェイヴ」と名の付くものに対して親しみを感じる傾向にあることまでは把握できた。とはいえ、私の趣味はまだまだ手探りの状態でしたので、ニューウェイヴっぽくなさそうなやつも含めて、とりあえず当時の新譜をメインにいろいろ聴きました。

そんな感じで私は洋楽から入りましたので、日本の音楽に関しては正直まだ全然知りませんでした。なんなら、少し馬鹿にしていた。今となっては大変お恥ずかしい限りではありますけれど、しかしそれもすぐに崩れた。

これまた深夜に、今でいう「ノイタミナ」をやっている時間だったと思います。すごく気になる曲が流れてきた。フジファブリックというバンドの、アルバム発売のCMでした(流れていた曲は“TAIFU”という曲だった)。このとき、Welcome To The Northと同じくらい、はじまりの音がした。ここから私の枝葉を伸ばす範囲が邦楽方面にもググッと広がりました。自分の好ましく思える漁場が次から次へとドンドン見つかっていく。そうなるともう、楽しくって仕方がない。

やがて、フジファブリックからの流れで、スパルタローカルズというバンドを見つけました。これが本当によくて、すぐに大好きになった。これが大事な出会いになります。


◆ライブと私◆

少し話が前後しますが、私が初めて行ったライブはKASABIANというバンドの、タワーレコード新宿店の屋上で行われたインストアイベントでした。Welcome To The Northを深夜に見かけてから半年も経ってなかったと思う。この話をわかる方にすると「最初がKASABIANなんてすっごい贅沢」と言われます。私もそう思う。入口が偉大な体験でしたので、あっという間に虜になった。(当時のKASABIANはデビューしたてだったものの、すぐに世界的な人気バンドとなった)

そして、音楽におけるライブでの体験を大きく考えた場合、必然的に来日する機会が限られる海外のミュージシャンよりも、日本のミュージシャンのほうがより身近で魅力に触れやすいという点で、私の漁場的比重は段々とそちらへ寄っていきました。

2014年現在に至るまで様々なライブに赴き、いったいどれくらいの本数行ったのかさっぱりわかりませんが、おそらく200~300といったところでしょうか。もちろんそれ以外にフェスなどもありますし、もうよくわかりません。一時期は生活の全てを捧げて行きまくりましたし、先述したスパルタローカルズのライブにも当然たくさん行きました。そしたら、その中にいました。


◆ポリと私◆

その日はスパルタローカルズの対バン・ライブツアーでした。各公演、スパルタローカルズ+ゲスト1組によるツーマン・ライブです。ツアーファイナルであったSHIBUYA-AX公演(5月末で閉館してしまうのが悲しいですね…)のゲストは、POLYSICS。かつて私が感触だけつかんでいたゴールの形に限りなく近いと思われる、完全にしっくりくる音楽と遂に出会えました。

当時のPOLYSICSはニューウェイヴ・リバイバルブームに対する“POLYSICSとしての解答“であるアルバム「Now is the time」を引っさげたワールドツアーからの凱旋公演を敢行した直後でしたので最高の時期であったのと同時に、私がうろうろしていた漁場が大体合ってたことが即座に理解できました。やがてディープな音楽オタクであるPOLYSICSのフロントマン・ハヤシヒロユキに大きく感化され、私の音楽に対する基本姿勢は固まります。

『もっともっと面白くて楽しい刺激的なものを果てしなく追い求めよう!!!!』

POLYSICSは、心の底からひとつになりたいと願わせてくれた運命の相手であり、本能に従うことで多様性もついてくると教えてくれた偉大なる師匠でもあり、旅先で思いを馳せるたび力を与えてくれる頼もしい帰るべき港であって、いつまでも変わらぬ姿で応えてくれる仏様のような存在であります。昔の人は出身地の名前をそのまま名乗ることでそれが苗字となりましたが、私も今は似たようなニュアンスで、インターネットではぜんぽり(zenpoly)を名乗らせていただいております。


◆ゴールはスタートになった、その後◆

書いてて思ったのですが、もし仮に「自分の生活には音楽が必要だ」と薄々感じていた時期の私にいきなりPOLYSICSを与えたとしても、ある程度好きにはなっても、おそらく出会った瞬間の「これだ!」には、及ばなかったように思います。少しずつ、いろんな音楽を見聴きする中で私のもっていた好みの形がより具象化・微修正されていって、その果てに満を持して出会ったPOLYSICSが、あたかも理想の体現者であるように感じられた。

最初のきっかけとなったThe Musicに関しては、そういえば全然ニューウェイヴではないし、現在の好み・ツボからもかなり離れた位置にあります。もちろん、いま「かなり離れた」と感じるのは細かな違いを区別できる視点を持ち得たから言えることで、当時の右も左も分からぬ私の目にはどれもだいたい同じように見えていたのでしょう。そう考えると、どこか可愛らしくも思えてきます。こういう事例、音楽に限らずこれからもありそうですね。





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