彼女と別れた話
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このたび、お付き合いしてきた彼女と無事に最終回を迎え、正式にお別れいたしました。とても幸せな、3年4ヶ月でした。
Twitterでの最終回発表から今日に至るまで、
「どうして別れるんですか??」
ということをあちらこちらで訊かれまくり、そのたびに私は何かしらの回答をして来ましたが、今のところその場その場で毎回違うことを言っています。私自身でもまだイマイチよくわからないというか、とても一言では表せないと言いますか。
よく言われるように、やはり恋は3年で一区切りなのかもしれないし、私が精神的に未熟であったからかもしれない。長い付き合いの中でお互いに深く依存しすぎたのかもしれないし、そのわりには理解し合えなかった部分があったのかもしれない。あるいは、長期的な展望を描けずにどこか「詰んだ」状態にあったのかもしれない。いずれも理由のひとつだとは思いますが、もちろん決してこれだけではありません。「いま思うとあれが致命傷だったかな~」と思えることも決してひとつではなく。まあ私たちなりによく頑張ってきたような感じもしています。
彼女は、もともと知り合うずっと前より私のブログの読者だったようで、高校生のときから読んでいたそうなのですが、まあそういうこともあって、どこか彼女に対して「私の好みに育てた」みたいな意識もあります。おかげさまで最近では、共通する経験を活かしてほとんど共作と言ってよいような記事を書いたりもしていました。そんな中こうして最終回を迎えることになり「この話もブログに書きたいな~」と思ったので打診したところ「いいよ」とのことでしたので、あらためて二人のこれまでを色々と振り返ってみることにしました。
特に、惚気話という名のいいとこ取りでしかなかった、残念な言い方をするなら“彼女というコンテンツ”にしすぎてしまったTwitterとは、少し違った感じで見ていきたいと思います。
・初めて彼女ができた
同じ音楽の趣味をもつ私と彼女は、とあるライブで初めて顔を合わせ、私が一目見て「おっ」と思ったところからスタートしました。直後よりTwitterでは繋がりを持ちつつ、その後は2度、同じバンドのライブで会うことがありました。当時学生だった彼女はまあ、それはそれは可愛かったですよね(もちろんいまも大人の女性になりつつあって可愛いですよ)。当然、いいよなあ…好きかもしれないな…ということは漠然と思っていました。当時Twitterを利用したサービスで「みみうち」というカップル製造装置がありましたので、まんまとそれを活用し、見事そういうこととなりました。
とはいえこの時、私はまだ恋愛ひとつしたことない社会不適合クソ高齢童貞野郎でしたから、趣味もピッタリの理想的な可愛い女の子といい感じになりそうだという展開にも関わらず相当な及び腰で、彼女の方からだいぶグイグイ来ていただく形で、私は結果的に告白させられたというのが近かったと思います。あの時グイグイ来てもらえたから一歩が踏み出せたので、私の人生は大きく変わりました。きっとこのまま誰とも付き合うことなく30前後で適当に死ぬであろうと思っていた27歳間際の私がまさか「女性と付き合う」とは一体!?!?!?そんな感じでした。震災の直後でしたね。
・彼女がいるって最高
とりあえずお付き合いは順調に続いていき、一緒にいろんなところに行って、いろんなおいしいものを食べて、私のちょっとした夢の数々もたくさん叶えていただきました。
この頃の私はもう、後にも先にも彼女しかありえないと完全に確信しておりましたので、将来に対する小言とか無邪気すぎて失敗したりとかちょっとオフ会行き過ぎとか言われても、そこまで深く気にしていませんでした。少し怒られては少し反省して修正し、また少し怒られては同じことを繰り返し、それでも以前と比べたら確実に良くなってきているし、この調子でいけばどんどん彼女の望むものになれるであろうと。お付き合いを始めた当初はあまりに不慣れなことが多く彼女を傷つけてしまうこともありましたが、調教の甲斐あって徐々に改善し、すっかり私は彼女に育てられた自負がありました。もうじき死んでいたはずの人生プランにまだまだ先があることが彼女によって明確に示されました。
が、いま思うと、この頃すでに彼女の怒りのポイントカードは何枚もポイント満了しては懲りずに再発行されていました。また将来の話もそれなりにしておりましたので、私にも「彼女と同じ夢を見て進まなくてはならない」という期待とプレッシャーが次第に強まっては、その道のりの果てしなさに現実感がないまま過ごす時間が増えました。最初は快感でさえあった「彼女が居て心身が身動き取りにくい状態」に対してのストレスも、当時はまるで自覚がありませんでしたが、いま考えるとすでに蓄積し始めていたと思います。
それでもなお、お付き合いを始めた当初と比べても、私も彼女も根幹にあるお互いを想う気持ちとしては、まるで変わっておりませんでした。
・彼女はいて当たり前の存在
かれこれお付き合いは3年続き、私はまったくそんなつもりはなかったものの、「最近ちょっと冷たい」と指摘されることが時々ありました。私はいつも変わらず彼女との将来を考えているつもりでしたが、いろいろ資格を取ったり職を替えたりなど試行錯誤してきたものの、現実的な進捗はあまり見られず。右往左往しているといってよかった。
ある日、また職のことで険悪になった折に彼女が涙ながらに提示してくれた未来像として『こどもとねこが居て、3年、いや5年か10年に一度くらいどこか旅行に行くような慎ましくも幸せな生活』というものを聞かされ、めそめそと健気に話す彼女の様子も含めて、それはそれは私にはまぶしすぎる最大最高の目標として感動した時期もありましたが、その魅力は十二分に感じつつも、近づいてゆくどころか次第に遠ざかっている感覚もしていました。そんな私の状況や取り組む姿勢に対して「わたしはこんなに頑張っているのにあなたはどうして」といった彼女の苛立ちも強まっていました。
…うーん、こうやってあらためて書いてみると実に厳しい感じがしますが…にも関わらず私は現状維持的な意識が根強く、頻度こそ減ったものの、いやあ~いつも彼女とはハッピーさ、ハッハッハ…!みたいなことをまだまだ体よく書いていた気がします。実際、会っている時間の大半はとても楽しく過ごせていたし、惚気けてきたエピソードに一切嘘は無いのだけれど、後ろめたさもありました。都合のいいところだけを抜粋している私の状況は「おしどり夫婦で売っている芸能人夫婦が家では会話もしない」状態とあまり代わり映えしないのでは、と。
かつては燃え盛っていた火が弱まってきているのは薄々感じていましたが、いいや決してそんなはずはないと思い込んで気付かないようにしていました。だって私には彼女しかいないって信じていましたし、いまさらそれ以外の可能性に立ち返ることは死に直結する思いでした。
まあ、それも、ここまで来ればちょっとしたきっかけで、すがるように守ってきたそのこだわりをやめるべきかもしれないな、という思考に感情から納得ができてしまうようになっていきます。いま思えば最後の数ヶ月はゆるやかに終わるべきタイミングを待っていた感じでした。渋谷で映画を観たある晩「二人の関係を考えてみませんか」と切り出したのは彼女からでしたが、マラソンの給水所で水をつかむがごとく私がその提案に飛びついた時点で、彼女に対する想いと二人の関係が、すでに満了を迎えていたことに理解が及びました。
そして、お互いが少し時間を空けて考えた結果、持ち寄った答えは二人とも同じものでしたので、晴れて最終回を迎えることとなったのです。
・彼女と別れることが決まって
いざ最終回が決定してみると、目の前が真っ暗になる日と、急にパァーッと明るくなる日が交互に押し寄せて、気分は乱高下していました。躁鬱っぽい。やがて季節が移り変わるように次第に落ち着いていって、最終回のひとつ前に、貸し借りしているものの受け渡しのために会おうという日になりました。彼女がずっと固辞していたカラオケにとても久しぶりに行って、焼き鳥で一杯やって、最後にお茶をした。「まさかこの二人が今度別れるだなんて周りの人は思いもしないのだろうね」なんていつも通りに言い合いながら、楽しく過ごせました。彼女の顔は憑き物が落ちたようでもあって、どこか清々しかったし、私もそれでホッとした。不安が一掃できた。二人で下した判断が正しかったことを実感しました。
かつて、付き合うか付き合わないかの時期に「一度踏み込んだ関係になってしまってはもう友達に戻れないのでは(だからあなたも少し冷静になりましょう)」というようなことを彼女が言ったことがあって、私はそれを鼻息荒く遮りながら「いやッ!きっと戻れるはず…!!」と、根拠ゼロで言い放ちました。結果として、私が当時勢いで言い放ったことがほぼほぼ現実になり得たことへの安堵があります。もしも憎しみ合って別れた結果「(お互いが好きなバンドの)ライブに行ったら相手も行ってるかもしれないからもう二度と行かない」みたいなことだけは絶対に避けたかった。そうではない別れ方がこの二人なら可能なんだということに、私はとても誇りを感じました。
が、ここまでご覧になってきてわかると思いますが、私は大層バカですので、「次が最終回です」とTwitterで半ば自慢気に発表した途端、もちろん辛い気持ちはありましたが、それ以上になにか猛烈に清々しい心地になりました。悟空が修行のために身につけている重い道着を脱いだときのような、亀仙人が甲羅を下ろしたときのような、思わず飛び跳ねたくなる解放感。よくよく見たら脱ぎ捨てた道着や甲羅に皮膚とか内臓とかがくっついて剥がれていてメチャクチャ痛いのですが、それでもなお爽快感が先走りました。
おかげで私はまたしても「彼女とだからできた円満な別れ」さえステイタスと化してコンテンツにしてしまい、発表から最終回前夜くらいまでの間、最後の最後で彼女やその友人たちに心配をかけ、顔に泥をぶちまけるようなことを書きまくりました。本当に申し訳ないことをした…。無事に軟着陸しかけたところでうっかり安心して、そのままブレーキかけるのを怠って滑走路を豪快にオーバーランしました。
ですから、その後の最終回で、すっかり私の教育ママを辞めたような顔つきの彼女がバツの悪そうな私に会って早々「まったくこいつは本当にしょうがないやつだな」みたいな感じでおどけながら接してくれたとき、申し訳無さと同時に嬉しさがありました。彼女と別れるというのに、どこか子離れ・親離れできた感覚でした。
・彼女の幸せを考えてみると
別れを決めた理由のひとつとして、彼女が3年4ヶ月かそれ以上にわたって私を成長させようとしてくれていたのに、私がどうも本気にならなかったこともあります。それこそお母さんのように根気よく心血を注いでくれていたのに、彼女が願うほどには応えられなかった。むしろ彼女自身の幸せを思うと、ここまで回収率の悪い投資はやめて、私ではないもっとまともな投資先がいくらでもあるのでは???と考えるのは自然なことでした。
私は結局、自分の好きなように生きようとしてしまって、彼女の夢と私の夢は、似てはいますが、どこか違いました。そんなの当たり前の話なんですが、長きにわたって妄信的に「絶対一緒に決まっている!私には彼女しかいないのだから!」としか思っていなかった。そのことにもっと早く気付いていれば、ひょっとしたら一緒に問題に取り組んで乗り越えることができたかもしれません。遠からず彼女はそうしようとしてくれていたのでしょうが、私はいつもフラフラと呑気に構えていて、はっきりヤバいことに気付いたときには年月が経ちすぎていて、乗り越えるだけの情熱はもうありませんでした。
私も彼女も、お互いの幸せを心の底から願っています。私はもちろん、彼女から私にも同様の言葉をいただきました。そしてお互いの幸せを求めた結果として、今回は別れがベターな選択になってしまった。もちろん敗北感はありますが、充足を感じてもいます。これまで挙げてきたような負の要素たちを加味しても、彼女と過ごした日々はそれを上回って圧倒的に最高でした。本当にありがとうございました。
また、今回のことを通じて、私が普段見せている優しさは不可侵のバリアなのだろうということに気付きました。日頃の温厚な態度が「優しくするからここから先には入らないで」と常に言っていた気がした。私は3年4ヶ月もの間、彼女や周囲に対して散々好き好きカワイイ連呼しながらすべてを託すかのような口ぶりで付き合ってきたのに、実はまだ究極のところでは彼女に心を開いていなかったようでした。
もともとは彼女の誕生日を祝うためだけに押さえていた上等なお店で過ごした最終回の晩餐、「いまさら守るものもないし」と打ち上げのようにお互いあけすけに話していたら、ハッキリわかってしまった。私は、傷ついたり変化したり失ったりするのを過剰に恐れてきた結果、単なる優しいだけの何もしない彼氏になってしまっていたのです。時には盛大に傷つけあうことも必要だったのかもしれない。今となってはそんなことを思います。最終回の夜はナーバスなパーティーでした。私はこれから先、自分以外の誰かを好きになることができるのだろうか。
・最後に
こうして“初めての元カノになってくれた方“とは、この先もたまに会うことがありそうです。好きな音楽のライブとか、フェスとかで。そのとき私たちは、一体どういう話をするんでしょうか。私のほうは、なんだか異常に馴れ馴れしいやつがよくよく聞くとあの子の元カレだった~みたいな傍から見てるとクッソ腹立つやつになるんでしょうか。変な話ですが、ちょっと楽しみです。そのときは敬意を忘れないようにしたいですね。