フジファブリックのこと
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ある日、渋谷のTSUTAYAで借りるCDをピックアップしていると、店内になんだかいい感じの曲が流れてきた。早速iPhoneでSoundHoundを起動して聴かせてみたところ、『夏の大三角関係/フジファブリック』と表示されてメチャクチャびっくりした!!
ってことが以前あって、そのときはまだ現在のフジファブリックと名乗り続けているバンドについては受け入れられなかったものの、あれから何度目かのCDをピックアップする機会がやってきて、そういやあの曲よかったし、聴いてみっか、と手に取った。それまでにも何度か、手を伸ばしてやっぱやめる、は繰り返してきた。メンバーが3人になってからのフジファブリックに触れるとき、興味はあるものの、なんだか薄らモヤモヤした感情に包まれる。心が粘りを持って拒む感じがあった。
それでも新しい音楽との出会いの誘惑に負け、とうとう持ち帰る。聴く。まずは“夏の大三角関係”から。機が熟したのかなんなのか、なんだか一瞬で理解できた。下唇を噛みながら、苦い顔になって瞼がピリピリした。とてもよかった。フジファブリックだった。
3人になってからのフジファブリック、なんだかすごく頑張ってしまっていませんでしたか。まあ、ほとんど追ってなかったんですけど。簡単に言えば今回の印象は、もう頑張ってないのがよかった。いろいろあってバンドはいまの形態になったけど、あたかも初めからこうであったような安定感と、ボーカルの技術の進歩を感じた。ようやくこのレベルにこぎつけたかと。そしてその中に、頑なに死守してきた心の中のフジファブリックの姿が、きちんといたわけですよね。まるで生き別れの兄弟と邂逅したような。現在のスタイルに融合しながら生きていた。なんか全部納得してしまいました。
かつてのファンからすれば、最も険しい道を選んでくれたな、とは思う。世界観の中心を失ってもバンド名とかはそのまま、残されたメンバーだけでやることになってギターの山内総一郎が消去法的にボーカルになり、しばらくして久しぶりにライブで観たと思ったらなんか全体的にすごいチャラくなってるし、昔の曲もしれっとやってたりして、あまりにも受け入れ難いものが多すぎた。名前を変え、あらためて別バンドとしてスタートしていたら、こんなに時間はいらなかったよ。
本当に自分でも拍子抜けするくらい、現在のフジファブリックのことを受け入れることができてしまった。とはいっても、もうあれから6年近く経っていて……あと、現在のすべてが良い!全部受け入れたぞ!ってわけでは決してなくて、良さはある反面、どうしようもない居心地の悪さというか洒落臭さはあります。愛せない部分も根強い。それも含めて、いまのフジファブリックでいいんじゃないでしょうかって感じです。良いものは良いし。そこで思い出を引っ張り出してきて殊更にアレルギー反応を示すこともなかろうと。壁は越えました。
で、だからといって、みんなもこっち来いよ、みたいなことはまったく思わない。一人一人が乗り越えるやつだし。というか、乗り越えなくてもいいし。こればっかりは思い出に生きるのもぜんぜん悪くない。過去にはそれだけの価値があった一方で、未だ整理のつけにくい状況が続いているのは確かですから。ただ僕はどしどし新しいものが欲しいので、思い出が大切すぎて現状認識の足を引っ張るくらいだったら、ある程度折り合いつけて処理できてたほうがこの先動くのも気がラクだって今回ちょっとわかりました。これからはフジファブリックのことも平常に気にかけていきます。(ただしプレイリストは分ける)
ってことが以前あって、そのときはまだ現在のフジファブリックと名乗り続けているバンドについては受け入れられなかったものの、あれから何度目かのCDをピックアップする機会がやってきて、そういやあの曲よかったし、聴いてみっか、と手に取った。それまでにも何度か、手を伸ばしてやっぱやめる、は繰り返してきた。メンバーが3人になってからのフジファブリックに触れるとき、興味はあるものの、なんだか薄らモヤモヤした感情に包まれる。心が粘りを持って拒む感じがあった。
それでも新しい音楽との出会いの誘惑に負け、とうとう持ち帰る。聴く。まずは“夏の大三角関係”から。機が熟したのかなんなのか、なんだか一瞬で理解できた。下唇を噛みながら、苦い顔になって瞼がピリピリした。とてもよかった。フジファブリックだった。
3人になってからのフジファブリック、なんだかすごく頑張ってしまっていませんでしたか。まあ、ほとんど追ってなかったんですけど。簡単に言えば今回の印象は、もう頑張ってないのがよかった。いろいろあってバンドはいまの形態になったけど、あたかも初めからこうであったような安定感と、ボーカルの技術の進歩を感じた。ようやくこのレベルにこぎつけたかと。そしてその中に、頑なに死守してきた心の中のフジファブリックの姿が、きちんといたわけですよね。まるで生き別れの兄弟と邂逅したような。現在のスタイルに融合しながら生きていた。なんか全部納得してしまいました。
かつてのファンからすれば、最も険しい道を選んでくれたな、とは思う。世界観の中心を失ってもバンド名とかはそのまま、残されたメンバーだけでやることになってギターの山内総一郎が消去法的にボーカルになり、しばらくして久しぶりにライブで観たと思ったらなんか全体的にすごいチャラくなってるし、昔の曲もしれっとやってたりして、あまりにも受け入れ難いものが多すぎた。名前を変え、あらためて別バンドとしてスタートしていたら、こんなに時間はいらなかったよ。
本当に自分でも拍子抜けするくらい、現在のフジファブリックのことを受け入れることができてしまった。とはいっても、もうあれから6年近く経っていて……あと、現在のすべてが良い!全部受け入れたぞ!ってわけでは決してなくて、良さはある反面、どうしようもない居心地の悪さというか洒落臭さはあります。愛せない部分も根強い。それも含めて、いまのフジファブリックでいいんじゃないでしょうかって感じです。良いものは良いし。そこで思い出を引っ張り出してきて殊更にアレルギー反応を示すこともなかろうと。壁は越えました。
で、だからといって、みんなもこっち来いよ、みたいなことはまったく思わない。一人一人が乗り越えるやつだし。というか、乗り越えなくてもいいし。こればっかりは思い出に生きるのもぜんぜん悪くない。過去にはそれだけの価値があった一方で、未だ整理のつけにくい状況が続いているのは確かですから。ただ僕はどしどし新しいものが欲しいので、思い出が大切すぎて現状認識の足を引っ張るくらいだったら、ある程度折り合いつけて処理できてたほうがこの先動くのも気がラクだって今回ちょっとわかりました。これからはフジファブリックのことも平常に気にかけていきます。(ただしプレイリストは分ける)