学校
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学校に行っておりました。半年間。いわゆる公共職業訓練というものです。
4月に入校、9月で修了。これを書いている当日が修了式でした。その時いただいた修了証書によれば、総訓練時間は700時間とのこと。次長課長・井上のモンハンシリーズ累計総プレイ時間7.700時間と比べれば大したことがないな。(比較するのがおかしいものの、実際こうして見るととても短い。あっという間の半年間だった)
ざっくり言えば電気や通信の勉強をしていたわけですが、まあ学んだ内容としては業界の門を叩く資格を得た程度のもので、とはいえ運転免許以外の資格も正社員の経験もない元引きこもりの中卒アラサーからしてみれば、ドラクエで言うところの「ブーメラン」を手に入れたくらいのつもりではおります。むろん、実際の社会は「はがねのつるぎ」を持っていてもまるで頼りないほどに厳しいのですけども。
で、学んだ内容は僕にとってそれなりに大きかったのですが、それ以上に僕が「学校」というシステムに参加することに大きな意義があったかな、と思います。社会人が通う職業訓練とは言うものの、学校としてのフォーマットはそこらへんの中学高校等と変わりなく、懐かしい風合いの机と椅子が並んでいて、黒板があり、日直がいて、起立・礼の号令で授業に入る。クラスメイトがたくさんいて、休み時間は話し声で賑わう。いろんなやつがいて、いろんな人間関係がある。まさに学校のあの感じ、そのものでありました。
中学に一ヶ月しか通わず社会的にリタイアも同然の道を選んできた僕にとって、これは飢えていた環境そのものと言ってよかった。本来なら味わうべき時期に味わえなかったものが、思わぬ形で補填できたように思っています。
また学校に入る前、職業訓練について調べていくと、その性質上、いろいろ問題のある人が多い、という話を多々聞きました。周囲の経験者や、実際に今も通っている人の話でも、どうやらそうらしい、と聞いていた。そのあたりはだいぶ覚悟していましたが、客観的に見てもうちのクラスは「かなりまとも」でした。もちろん、まともな会話ができないレベルも数人いましたが、ほとんどは多様な社会経験を持ち、新たな分野について学ぶ意欲に満ちた、個性豊かですぐれた大人の方々でした。年齢層的にも29歳の僕が下から数えたほうが早いほどで、頼りになる人生の先輩方がたくさんいらした。
たまに他のクラスと合同で授業や行事に参加することもあったのですが、正直言って他のクラスはやばそうな人がもりもりいらした。行くところに行けば具体的な病名がバンバン与えられるであろう人と容易に推測できる混沌さでした。その意味でも、僕のクラスの選択は正しく、同時に、良縁に恵まれたと思います。平たく言えば、とても運がよかった。
ただ、もちろん、一見してやばい印象を持ってしまう人たちも、半年間一緒に過ごせばもしかしたら違った印象になるかもしれない。実際、最初の頃にあまり良いイメージを抱けなかった人たちが、クラスの中でどんどん変わっていくのを見てきました。でもそれは、僕の見方が変わったというより、その人たち本人の成長による側面が大きい。
半年間ひとつの集団の中で過ごし、日々の積み重ねで痛切に感じたのは「変化していける人の強さ」と「どうしようもなく変わらない人」の存在です。前者の人はスタートダッシュこそ要領がつかめず出遅れるものの、気付けばじわじわと力をつけて、最終的にはたくましく結果を残していきます。最初の頃にあまり良いイメージを抱けなかった人たちの中に、そういう方々が何人かいました。彼らの前向きな変化を近くで見てきて、この姿勢に学ばなければいけないなと強く思いました。(また、おそらく学習だけに専念できる環境が、この方々の力を大きく引き伸ばしたんじゃないかなと思っています)
一方で、僕はどちらかというと「どうしようもなく変わらない人」寄りの人間です。これは正直なところ否定出来ない。学校終盤、ふと先生が漏らした言葉の中に「ぜんぽりさんは優等生で、いつも余力をもって何事も器用にこなしていて、全力を出したことがないんじゃないかと思っています(笑)だから(就職に関しては)まったく心配していませんよ」というものがありました。有難いお言葉…!であると同時に、自分の弱点を的確に言い当てられた気がしました。いつも心に一定の余裕を保持しようとして、うまく必死になれない。仮に本人的には必死でも、それが相手に伝わらない。まいったな…すべてお見通しってわけか…!この先生も大変素敵な先生で、とてもお世話になりました。っていうかまだお世話になりますけどね。(就職を決めてご報告するまでは)
科目ごとにいらっしゃった先生方も、面白い人が多くてとても充実していました。現場の第一線を引退したご高齢の方々が多かったですが、当時の実体験の中には、まるで映画を観ているような気分に至ってしまう超大作エピソードをお持ちの先生もいて、授業とはまるで関係がない余談のほうが楽しみだった。なんかこういうの、すごい学校っぽくて、いいよね。
わ~半年で終わっちゃうの寂しいな~、という気持ちもありつつ、でもこの生活があともう半年(合計1年)あったとしたら、学校生活が気楽すぎてこれはもう二度と社会に戻れないのでは…だから半年でちょうどよかったのでは…という話も終盤は頻繁にしていました。
この半年でつくづく思ったのは、子供の頃によく「大人になったらもう勉強しなくていいんだ」みたいなことを思っていたけど(そもそもろくに勉強しなかったけど)、実際のところ「大人になっても一生勉強し続けていかなくちゃいけない」ことが完全に理解できてしまったので、まあ、やるしかないのよな…と。どういった世界に進んでも、結局それは避けられないのですな。それができないやつは相応の報いを受けていくしかない。器用ではなくても、しぶとく確実に変化していける人の強さは、まさにそこなんだと。これが肌身に染みてわかった。
学校に行ったことで「学ぶ」ことの大切さを知った。というか、思い出した、に近いかもしれない。いろいろな資格やら、人的ネットワークやら、思い出やら、得られたものは数えきれないくらいたくさんあるけども、なんといってもそれが一番大きいような気がする。うむ。
学校、行ってよかったと思います。
「また行きたい!」っていうと、職業訓練の性質的に「また」はダメだろ、となるけども、何かしらの形でまた学校みたいな環境に身を置けたらいいなーって夢は抱いてしまいます。
4月に入校、9月で修了。これを書いている当日が修了式でした。その時いただいた修了証書によれば、総訓練時間は700時間とのこと。次長課長・井上のモンハンシリーズ累計総プレイ時間7.700時間と比べれば大したことがないな。(比較するのがおかしいものの、実際こうして見るととても短い。あっという間の半年間だった)
ざっくり言えば電気や通信の勉強をしていたわけですが、まあ学んだ内容としては業界の門を叩く資格を得た程度のもので、とはいえ運転免許以外の資格も正社員の経験もない元引きこもりの中卒アラサーからしてみれば、ドラクエで言うところの「ブーメラン」を手に入れたくらいのつもりではおります。むろん、実際の社会は「はがねのつるぎ」を持っていてもまるで頼りないほどに厳しいのですけども。
で、学んだ内容は僕にとってそれなりに大きかったのですが、それ以上に僕が「学校」というシステムに参加することに大きな意義があったかな、と思います。社会人が通う職業訓練とは言うものの、学校としてのフォーマットはそこらへんの中学高校等と変わりなく、懐かしい風合いの机と椅子が並んでいて、黒板があり、日直がいて、起立・礼の号令で授業に入る。クラスメイトがたくさんいて、休み時間は話し声で賑わう。いろんなやつがいて、いろんな人間関係がある。まさに学校のあの感じ、そのものでありました。
中学に一ヶ月しか通わず社会的にリタイアも同然の道を選んできた僕にとって、これは飢えていた環境そのものと言ってよかった。本来なら味わうべき時期に味わえなかったものが、思わぬ形で補填できたように思っています。
また学校に入る前、職業訓練について調べていくと、その性質上、いろいろ問題のある人が多い、という話を多々聞きました。周囲の経験者や、実際に今も通っている人の話でも、どうやらそうらしい、と聞いていた。そのあたりはだいぶ覚悟していましたが、客観的に見てもうちのクラスは「かなりまとも」でした。もちろん、まともな会話ができないレベルも数人いましたが、ほとんどは多様な社会経験を持ち、新たな分野について学ぶ意欲に満ちた、個性豊かですぐれた大人の方々でした。年齢層的にも29歳の僕が下から数えたほうが早いほどで、頼りになる人生の先輩方がたくさんいらした。
たまに他のクラスと合同で授業や行事に参加することもあったのですが、正直言って他のクラスはやばそうな人がもりもりいらした。行くところに行けば具体的な病名がバンバン与えられるであろう人と容易に推測できる混沌さでした。その意味でも、僕のクラスの選択は正しく、同時に、良縁に恵まれたと思います。平たく言えば、とても運がよかった。
ただ、もちろん、一見してやばい印象を持ってしまう人たちも、半年間一緒に過ごせばもしかしたら違った印象になるかもしれない。実際、最初の頃にあまり良いイメージを抱けなかった人たちが、クラスの中でどんどん変わっていくのを見てきました。でもそれは、僕の見方が変わったというより、その人たち本人の成長による側面が大きい。
半年間ひとつの集団の中で過ごし、日々の積み重ねで痛切に感じたのは「変化していける人の強さ」と「どうしようもなく変わらない人」の存在です。前者の人はスタートダッシュこそ要領がつかめず出遅れるものの、気付けばじわじわと力をつけて、最終的にはたくましく結果を残していきます。最初の頃にあまり良いイメージを抱けなかった人たちの中に、そういう方々が何人かいました。彼らの前向きな変化を近くで見てきて、この姿勢に学ばなければいけないなと強く思いました。(また、おそらく学習だけに専念できる環境が、この方々の力を大きく引き伸ばしたんじゃないかなと思っています)
一方で、僕はどちらかというと「どうしようもなく変わらない人」寄りの人間です。これは正直なところ否定出来ない。学校終盤、ふと先生が漏らした言葉の中に「ぜんぽりさんは優等生で、いつも余力をもって何事も器用にこなしていて、全力を出したことがないんじゃないかと思っています(笑)だから(就職に関しては)まったく心配していませんよ」というものがありました。有難いお言葉…!であると同時に、自分の弱点を的確に言い当てられた気がしました。いつも心に一定の余裕を保持しようとして、うまく必死になれない。仮に本人的には必死でも、それが相手に伝わらない。まいったな…すべてお見通しってわけか…!この先生も大変素敵な先生で、とてもお世話になりました。っていうかまだお世話になりますけどね。(就職を決めてご報告するまでは)
科目ごとにいらっしゃった先生方も、面白い人が多くてとても充実していました。現場の第一線を引退したご高齢の方々が多かったですが、当時の実体験の中には、まるで映画を観ているような気分に至ってしまう超大作エピソードをお持ちの先生もいて、授業とはまるで関係がない余談のほうが楽しみだった。なんかこういうの、すごい学校っぽくて、いいよね。
わ~半年で終わっちゃうの寂しいな~、という気持ちもありつつ、でもこの生活があともう半年(合計1年)あったとしたら、学校生活が気楽すぎてこれはもう二度と社会に戻れないのでは…だから半年でちょうどよかったのでは…という話も終盤は頻繁にしていました。
この半年でつくづく思ったのは、子供の頃によく「大人になったらもう勉強しなくていいんだ」みたいなことを思っていたけど(そもそもろくに勉強しなかったけど)、実際のところ「大人になっても一生勉強し続けていかなくちゃいけない」ことが完全に理解できてしまったので、まあ、やるしかないのよな…と。どういった世界に進んでも、結局それは避けられないのですな。それができないやつは相応の報いを受けていくしかない。器用ではなくても、しぶとく確実に変化していける人の強さは、まさにそこなんだと。これが肌身に染みてわかった。
学校に行ったことで「学ぶ」ことの大切さを知った。というか、思い出した、に近いかもしれない。いろいろな資格やら、人的ネットワークやら、思い出やら、得られたものは数えきれないくらいたくさんあるけども、なんといってもそれが一番大きいような気がする。うむ。
学校、行ってよかったと思います。
「また行きたい!」っていうと、職業訓練の性質的に「また」はダメだろ、となるけども、何かしらの形でまた学校みたいな環境に身を置けたらいいなーって夢は抱いてしまいます。