いわゆるサブカル系ロックバンドのファンに背が低い女の子が多い現象

同じバンドが好きで知り合った彼女、もうかれこれ付き合って2年半になりますが、その間、ずっとこの話をしていたんですよね。定期的に話題に上がっては、「あれはなんなんだろうねー」「不思議だねー」みたいに。

彼女自身が『いわゆるサブカル系ロックバンドのファンの背が低い女の子』そのもので、また僕もそういったバンドが昔から好きなので、ライブへ行くたびに「背が低い女の子ばっかりでステージが見やすくていいなあ」ってことは度々感じていた。お互いの知識と経験をもって意見を重ねていく条件は、もともと十分にあったわけですね。ただまあ、正面切って臨むにしては若干バカバカしい話なので、そこまで真剣にやってなかった。

それが今回、ダラダラ続けてきた議論の成果なのか、あるいはお酒の力を借りたおかげなのか、まあ完全に酒のせいだと思いますが、どういうわけだか、ちょっと信憑性があるのではないか…?というレベルにまで【いわゆるサブカル系ロックバンドのファンに背が低い女の子が多い現象】に関する仮説を推し進めることができたので、簡単にまとめていきます。

とはいえ、あくまでこれは「比較的こういう“傾向”にあるのではないか…?」という与太話でしかないので、もちろん、みんなが絶対そうだ、って話ではないので、万が一ここに該当される方も気を穏やかにして、一杯やりながらヘラヘラ眺めていただきたいと思います。


■女性の社会はファッションでクラスタ分けされやすい■

話は中高生の頃にまで遡ります。子供のテンプレみたいな服装から徐々に離脱して、それぞれの女の子の中には「自分のやりたい格好」というものが出来てくる。ただし、自分のやりたい格好=自分に似合う格好、であるとは限らない。気にせず着る人は着ちゃうんでしょうけど、たとえば学校のクラスという集団における自分の立ち位置をある程度俯瞰して把握できている人は、そう無茶なことはできない。堅実に、自分に似合う格好をしようと考える。この時、身長の高低によって、似合う服装がある程度限られてきてしまう。特に背の低い女性にとっては。

ここで、王道からサブカル道への分岐が発生する可能性が高い。大事なのは、「自分の立ち位置を俯瞰して理解できている」ってことです。自分の身の程をわかっているからこそ「わたしにはあっちの道はなんか違うな」と思う。このタイミングで気付かない人はとりあえずそのまま王道を走ります。流行の音楽を聴いて、似合うとか気にせず流行のファッションに身を包む。そういう女の子、渋谷とかにけっこうよくいますよね。全然似合ってないけど大丈夫なの?みたいな。ああいう子は、自分が持っているはずの立ち位置に対して無頓着なのだと思う。いいや、わたしは違う。あっちじゃない。だって似合わないもん。気付いた人がサブカル道に進む。集団の中での自分の立ち位置がわかっているから、他の子と比較した自虐ネタができる。コンプレックスの操縦方法が身についてくる。


■サブカル受け皿ロックバンドの存在■

「わたしの行く道はあっちじゃない」となんとなく気付いてしまった女の子たちは、王道を行く人たちとは違うマンガを、お笑いを、そして音楽を求め始める。それは自己肯定感とも繋がってくる。王道を行く人たちが「みんな好きだから」「売れてるから」くらいの理由で無邪気に群がるみたいな構図がバカらしく見えてくる。わたしは、わたしの好きだと思うものを見つけたい。わたしに似合うものを探したい。わたしが本当に納得いく場所に向かいたい。

そんな女の子たちにとって、まさに手頃な距離にあるのが『サブカル受け皿バンド』です。その界隈では有名。知ってる人は知ってる。でもそこまで売れてない。オリコンチャートとかにもほとんど乗らない。でもなんかカッコイイ。ほんの少しだけ前衛的で、尖ってて、でもマニアックすぎなくて、ポップでもある。そういうバンドを自力で見つけ、あるいは同じ道を先行する先輩や友達から教えてもらって、あ、いいな、わたしこういうの好きかもしれない。こういうのが私の居場所かもしれない。そうやって、しっくりくるバンドを見つけていく。

少し脱線するけど、ものすごく前衛的な音を出す種類のライブとかに行くと、背が低い女の子ばっかり、みたいな画一的な印象を一切受けないのよね。むしろ統一感がまるでなくって、おそらくああいうのを聴きに来ている人たちって、「わたしはあっちじゃない」とかいうサブカル的天邪鬼めいた経路を通らず、はじめから真っ直ぐ向かってやって来ている。つまり純真なマニアなのである。サブカル受け皿バンドはあくまで「マニアックすぎない」ところに留まってしまうからサブカル受け皿バンドなのであり、まさにサブカルの受け皿として理想的な塩梅を有している。


■女は情で音楽を聴く■

女性はひとたび「素敵な音楽を作る○○さんってステキ」となったとき、「素敵な音楽」と「○○さんってステキ」が、ごちゃ混ぜになる傾向にある。音楽への愛着と、人格への愛着が絡み合った結果の「好き!」としか読みようがない発言を今までたくさん見かけてきて、なんか漠然とモヤモヤしていたのはこれだった。そっか、混ぜていたのか…っていう。「もし○○さんが作る音楽が素敵じゃなくなったら、その時は○○さんももうステキじゃない…」ってなってしまうというお話も耳にしたのだけど、二つの感情が同時に動いている(というか、合わせてひとつの感情として扱われている)部分がとても興味深い。

これ、多くの自称音楽好きな男(僕がそうだけど)にとって、よくわからない感覚なのではないかと思う。曲は曲で、カッコイイ好きな曲への愛着であり、その曲を作った人への愛着ではあるものの、その二つはあくまで完全に分離した感情なのだ。こいつクソだなー、友達にはなりたくないなー、と思ってても、カッコイイ曲を生み出せる人はミュージシャンとして信頼できる。でもそれが人として素敵に感じるとかはない。一方で人間的に信頼出来る人でも、つまんねえ曲しか作れない人はただの素敵な人でしかなく、素敵な人間だと判明したからってつまんねえ曲が途端にカッコよく聴こえたりすることもない。

音痴でゴミみたいな曲を作るけど超かわいい女の子と、めっちゃくちゃタイプの曲を作るけど顔とかは全然タイプじゃない女性の二人から同時に迫られたら、超かわいい女の子と笑顔で寝室に消えながら「新曲楽しみにしてるね」って、タイプの曲を作るほうの子に向かってしれっと言えてしまう。どっちも好きだし、好きの種類がそれぞれまったく違うんで、並べるなんてそんな無意味なことやめてよって思う。

女性はそのあたり、一度惚れたら好きの種類は混ぜてしまいがちで、結果的にサブカル受け皿バンドをどこかアイドル視する傾向があるように見える。よくサブカル受け皿バンドのファンはジャニオタを理解できないものとして見てしまいがちだけど、愛好する対象とそこに至った過程が違うだけで、お互いけっこう似た状態なのでは、と思う。(サブカル受け皿バンドのファンは、チケット取れた報告をTwitterに投稿する人に対して「チケット取れなかった人の気持ちも考えて!!」とか因縁つけて袋叩きにはしないけどね。むしろそういうのを嫌悪してサブカル道を選び取ったような節度ある人たちだから、そんな誰が見てもわかるバカなことはしないし、できないはず)


■そしてサブカル受け皿バンドは、得てしてうまくいかない■

そもそもうまくいくサブカル受け皿バンドというのは、それはもうサブカル受け皿バンドではないと言ってもいい。商業的に成功して「あいつらは売れ線の曲ばっかりでつまらなくなった」「ミュージックステーションなんか出やがって」みたいになると、そう、わたしの居場所はもうここにはないの、さようなら…となる。

稀にある、サブカル受け皿バンドとして円滑に安定継続しているところは、そこらへん器用にやっている。そこそこ売れない状態をキープしつつ、固定ファンを離さない戦略がうまい。したたかに、意識的にサブカル受け皿であり続けようとする姿勢が見て取れる。これからこの手のバンドというか小さな村のような集金システムは増えると思う。

でも、現在ではそういう状態を保てているバンドも、過去の波乱はひとつやふたつではなく、必ず何かしらあった。方向性の違いによるメンバーの衝突、脱退。新加入のメンバーがバンドを引っ掻き回して壊していく。音源クオリティーの乱高下。メジャーとインディーズを行ったり来たり。フロントマンが自殺未遂。バンドの解散。しばらくして新しいバンドが立ち上がる。こういうとき、男のファンは、比較的あっさり離れる。だって、バンドの人格には愛着がないから。単純に曲が良くなくなったら、望まない方向に変わってしまったら、バンドが消滅したら、ああ、これはもう違うな、ここにはもう無いな、他に行こう、ってなる。「はー、あの頃はよかったなー」とか思い出じみたことを言いながら。もちろん、同様に離れていく女性だっているし、「いや、俺はまだ○○についていくぜ」って男のファンもたくさんいる。

あくまで全て”そういう傾向にある”って話です。


で、傾向として、そういった数々の淘汰を経て、それでもなお残り続けているサブカル受け皿バンドのファンの人たちを眺めてみると、見事なくらいに背が低い女の子ばかり、というのが、僕がごく最近でも目にしている光景のひとつです。


■まとめます■


集団の中における低身長の自分を早い段階で客観的に理解できた結果、王道を行くことには抵抗が生まれ、サブカル道を歩む

サブカル道を歩む人たちにとってマニアックすぎない手頃な位置にサブカルを受け皿にしているバンドが多数存在し、自分の見出した立ち位置なんかをそれらの『サブカル受け皿バンド』に投影したりしながら、段々とハマっていく

やがてサブカル受け皿バンド自体に紆余曲折ある中でファンが自然淘汰され、音にしか興味のない男などはドライに去っていく中、音楽を情で聴きがちな女たちはサブカル受け皿バンド(またはそのメンバーの誰か)に健気にしがみつき、背が低い女の子が局地的に多く固まる形で残される


雑ですが、大体こんなような流れなのではないかと推測しています。女性は身長によってファッションの選択肢が左右され、またファッションによってその人の社会性が表されてしまう。そういった現実を早い段階で理解して自分の立ち位置を考慮できる人が、たとえば背が低いというコンプレックスだったらサブカル方面に流れる傾向にあるのではないか…?という仮説を立てました。

「早い段階で俯瞰視点を持つ」ってのが特に重要で、そりゃ、大人になれば立ち位置ってやつが大体わかってくるでしょう。自分に似合う服・似合わない服が嫌でもわかる。そのタイミングが早いか遅いかで触れる音楽の種類が変わってくるかもしれなくて、そんな時サブカルっぽい人たちの受け皿となれるバンドが日本にはたくさんありますよ、って話。


これ、文中のバンドの人にも、そのファンの人にも、肥溜めからバケツですくって思いっきりぶっかけたみたいに大変失礼なことになっています。余談ですが、この話のベースとなった僕の大好きな某バンドのフロントマンの方、背があまり高くなくて顔立ちも平凡なので、そのあたりの馴染みやすさ、投影しやすさもサブカル受け皿要素として一役買ってるんじゃないかと思ってます。これは怒られても仕方がない。

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